God save the Queen

2022年09月19日

エリザベス女王陛下崩御に接し、深い悲しみの気持ちと心よりの哀悼の意を表します。
心よりご冥福を申し上げます 

(一言、哀悼の意をささげるだけのつもりでしたが、書き始めると友人のことや英国滞在中のことを思い出し、話がかなり脱線して長文になってしまいました。乱文をお許しください。また、故人の表現はせず「エリザベス女王」と表記しております。ご了承ください)


【品位と品格、安らぎに満ちた強い女王】
エリザベス女王の在位期間は1952年-2022年、なんと25歳から96歳に渡る英国史上最長の70年7ヶ月でした(世界では第2位、1位は「絶対王政」で有名なフランス国王14世)。女王の姿は通貨(ポンド)に印刷されており、日常的に女王の存在が思い起こします。イギリスでは国歌にQueenが登場します(この度Kingに変更)。英国滞在中には現地の人と一緒に何度となく英国国歌を斉唱しました。その他、コメディーで女王がゴシップジョークになったり、本屋やお土産屋さん、近くのスーパーなでも女王に関するものが多く、渡英当初から大変馴染みやすく感じました。


エリザベス女王のあの声、あの表情、あの笑顔、あの振る舞い、気品にあふれた素敵な女王でした。言葉が通じず不器用に暮らしている私のような外国人にも安らぎくれました。2012年のヴィクトリア女王以来となる「在位60周年記念式典」や2016年の「90歳誕生日」などの盛大なイベントもあり、世界的にさらに人気が高まったように思います。イギリスの顔であり、世界で最もよく知られ最も愛された女性、史上最高の女王の1人として記憶されるに違いありません。


エリザベス女王は、愛犬家でもあり、生涯を通じて30匹以上も飼われていました。女王ネタのパロディーでは必ずと言っていいほど、愛犬のコーギーも一緒に出てくるほどです。そんな愛情溢れる面も人気につながったのかもしれません。世界的に愛される人というのは、その分苦労もあるはずですが、それをほとんど出さずに人々の支えになって、本当に凄いです。品位と品格、そしてリーダーシップ、どれか一つ、ほんの少しでも見習いたいものです。


そんなエリザベス女王ですが、本年2月に新型コロナウイルスに感染し案じられましたが(感染当時95歳)、4月に96回目の誕生日、6月にはイギリスの君主として初めて在位70年を迎え、祝賀行事(プラチナ・ジュビリー)が催され、元気な姿を見せてくれました。崩御される2日前の9月6日にも、マーガレット・サッチャー、テリーザ・メイに次いで、3人目の女性首相にリズ・トラス氏を任命、今思えば最後の大仕事でした。トラス新首相は、その強い政治姿勢からマーガレット・サッチャーに因んで「鉄の女2.0」とも言われてます。日本との関係も更に良くなると期待されています。世界平和が脅かされる昨今です、トラス首相には、エリザベス女王の強く優しい想いをつなぎ広げて世界平和に邁進して欲しいと期待します。



【女王、虹の彼方へ】
エリザベス女王死去直後、バッキンガム宮殿上空に美しい2つの虹が現れて話題になりました。バッキンガム宮殿は、去年4月に亡くなった夫のフィリップ殿下とともに長年暮らした場所で、2つの虹はご両名の姿を彷彿させます。つくづく偉大な人物は不豪儀な力を持っているものだと思わされます。
ところで、王室の居住場所は、この衛兵交代でも有名なバッキンガム宮殿の他に、現在も使われているお城として世界最大の「ウィンザー城」、最期を迎えられたスコットランドの「バルモラル城」を含む6つの宮殿です。イギリス滞在中は、それらを含め、教会や廃墟など由緒ある場所を訪問しました。古いものや歴史を大切にする国で大変魅力的で心が癒されました。



【2人のエリザベス女王】
ちなみに、お話ししている女王は「エリザベス2世」女王です。2世ですので1世もいます。エリザベス1世(1533-1603、在位1558-1603)はテューダ―朝最後の君主、またエリザベス朝とも呼ばれる英国の黄金期を支えた女王です。イギリスでは、エリザベス2世はじめ、このエリザベス1世、その父のヘンリー8世も大人気です。King&Quenn関係の話は、あちらこちらで見聞きするので自ずと親近感が湧いてきます。今回、気がついたのですが、エリザベス1世もエリザベス2世も同じ年齢、25歳で即位されたんですね。偶然でしょうけど震えがくるほど驚いてます、、 



【イギリス生活と女王】
英国滞在を始めた頃、王族などのイギリスの歴史を学びながら「英語」を学ぼうと思い、本を買いあさりました。学び自体は楽しかったのですが、専門用語や日常生活では使わない単語やフレーズばかりで難解でした。そして、何と言っても、それらは日常会話で使うことは少なく、私のような英会話の初心者には向いていませんでした。ただ、そういう歴史や文化を学んだことで、後々現地の人たちとの会話が弾むようになりました。ちなみに、英語の勉強という意味では、途中でコメディーやディズニー等のアニメが役立つことに気づきました。そういうわけで、ほとんどテレビやアニメを見ることはなかった私ですが、語学のために、強制的にそういう文化にも触れるようになりました。すると、英語力も格段に上がった上に、ますます会話が弾むようになりました。


2004年、渡英後間もない頃に同じ研究室のスコットランド人に、国王大権(英国の行政権は究極的には君主の大権に拠る)のことを教えてもらいました。「イギリスに憲法はない」、「クイーンが憲法」と言うので、「そんなことはないだろう!」、「きっと聞き間違いだ」と思い、何度も何度も聞き直したことを思い出します。ちなみに、スコットランド人の英語はなまりが強く、なんと!、最初は英語を話していると気づきませんでした(汗)。どの国でも地域のなまりがあって当然なのですが、当時の私には衝撃的で、英語を勉強するモチベーションが下がりました。ただ、その後、何人もの現地の人が「スコットランド人の英語は聞き取りにくい。私たちで私たちでも分からないことがある」と言ってくれて少し安心しました(笑)。


さて、イギリスで生活すること約6年、文化にも英語にもすっかり慣れ親しみ、たくさんの友人、恩師にも恵まれ心地よく暮らしておりました。永住も考えることがあるくらいでした(渡英や帰国に関してはホームページに書いておりますので、ご覧ください。検索は「うちらぼ 大分」でお願いします!)。


大好きなイギリスからの帰国を決めた一つの理由は、家族、社会貢献、新たな挑戦でしたが、実は、極身近な人以外に話したことがない夢がありました。ここで初めて公表しますが、それは、「科学の力」で会社を世界規模に発展させて、イギリスにも研究所をつくることでした。素晴らしい仲間の甚大なる協力のお陰で、国内では順調に業績を重ね研究所を発展させることができました。国際学会発表や国際論文の執筆をはじめとする国際活動、事業としても一部海外進出を果たすことができましたが、イギリスへの道はなかなか遠いものがありました。しかし、今、再び自由と無限の可能性があります。まず、目の前の一つひとつの大切なことを全力で積み重ねて、地域や国内でやるべきことをやり、この想いをつなげていきたいと思っています。


さて、帰国後はイギリスのニュースを見るたびに、「女王は元気かな?」、思ってはいけなんですけが、どうしても「その日が近づいているのかな」と思うことがありました。昨年4月には、夫であるエディンバラ公爵フィリップ王配のご崩御のニュースが飛び込んできました。背が高く、いつもエリザベス女王の横で静かにほほ笑む姿を思い出します。お二人は、天国でどんな話をされ、この世界をどのように眺められておられるのでしょうか。


ちなみに、ご両名は共に高祖母(ひいひいおばあちゃん)がヴィクトリア女王(1819-1901、在位63年7ヵ月)です。こちらも世界的に知られる大人気の女王で、大英帝国の繁栄の象徴、バッキンガム宮殿を住居とした初のロイヤルファミリー、9人の子どもを出産など、多面的な強さを感じます。私たちが毎年、クリスマスツリーを飾っているのも、ヴィクトリア女王がこの風習を広めたからとのことで、少しだけ身近に感じることができます。



【世界の平和を望んだ女王】
若干25歳、父であるジョージ6世の病死で女王の座につくことになりますが、女王になる直前に、王族女性として初めて軍隊に従軍し通常の従軍訓練を受けています。「私は人生をかけてイギリスに奉仕したい」と覚悟を決めたそうです。全く想像すらできない領域です。医療、福祉、教育、文化、芸術、環境保護や動物保護、そして、もちろん、科学に関する団体の長も務めるなど、幅広く世界の発展と幸せに貢献しています。


イギリス王室史上最長70年の在位の中で、英国国民の母として開かれた王室を実現、夏季にはバッキンガム宮殿が一般公開されます。女王在位中、16人の首相と歩んでこられました(私の滞在中はトニー・ブレア首相とゴードン・ブラウン首相)。外交面では「ソフト外交」が有名で、ヨハネ・パウロ2世のローマ・カトリック教会と英国国教会の和解を導いています。時に、欧州、米、アフリカらの海外諸国との難しい局面を解決し、世界の平和と繁栄のために尽力されています。


日本の皇室とも積極的に交流し、日英関係の友好親善が飛躍的に進みました。2012年、エリザベス女王(当時86歳)の即位60年を祝う「ダイヤモンド・ジュビリー」の際に、英王室は記念のサイトを設置しました。そのサイトに掲載した写真はわずか3枚でしたが、その中に昭和天皇と皇后美智子さまの姿があり話題を呼びました。両陛下と一緒にいるのはエリザベス女王の従妹のアレクサンドラ王女です。アレクサンドラ王女は、第2次世界大戦で敵国となった日本の皇室と英王室の交流が再開するきっかけをつくるべく1961年に来日しました。それが、1971年の昭和天皇の訪英と1975年のエリザベス女王の来日につながり、日本皇室と英王室の交流は本格的に復活しました。「ダイヤモンド・ジュビリー」という節目に示された一枚の写真は両国の友好関係を明確に示すものでしょう。


ちなみに、上述の昭和天皇の訪英ですが、これは1971年5月末で、私が生まれるほんの直前のことです(別途、同年10月にも訪英されています)。敗戦で焼け野原と化した日本を驚異的に立て直した昭和天皇が英国を訪問された直後に私はこの世に誕生しました。33年後、そんなことを知らずにイギリスで6年近くを過ごすことになったのです。更に、1975年、エリザベス女王が昭和天皇主催の宮中晩餐会に出席されたのは5月7日です。その日は、博士の日であり、うちらぼ研究室オープン記念日でもあります!そして、私を研究の世界に導いてくれた亡き偉大な友人の誕生日でもあります。大変勝手ですが、イギリスとの不思議なご縁を感じています(笑)。


エリザベス女王と日本皇室は、昭和天皇、上皇、天皇陛下の3代にわたって交流を重ねています。チャールズ皇太子(新国王)は故ダイアナ妃とともに訪日され、ダイアナ旋風が巻き起こりましたね(1986年、1990年)。



【世界中の人々から愛された偉大な女王】
日本でも、英国のロイヤルファミリーは人気がありますが、エリザベス女王は、イギリスの女王というだけでなく、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドを含む加盟国56、人口24億人にものぼる「コモンウェルス(イギリス連邦)」の長でもありました。それだけでも、世界人口の3分の1近くの人々と関わっていて、女王崩御のニュースで世界が悲嘆に暮れていることを理解できます。


またまた余談ですが(笑)、コモンウェルスゲームズという、イギリス連邦の加盟国が行うスポーツ大会があります。英国滞在中に、「オリンピックイヤーじゃないのに、何をやっているの?」と現地の知り合いに聞いて教えてもらいました。4年ごと、夏季オリンピックの合間に開催される大会で、7人制ラグビーやネットボールなど、独特の競技も多く不思議な感じでした。この夏にもイギリスで開催され、エリザベス女王としては20年越し2回目の自国開催となりました。


オリンピックと言えば、2012年のロンドンオリンピック(夏季オリンピック)を思い出します。日本人選手も大活躍、メダル獲得数は史上最多の38個を獲得しました。個人的には、なんと言っても、サッカー女子日本代表の「なでしこジャパン」、惜しくも金メダルには届きませんでしたが、感動の銀メダルでした。その他、競泳の北島康介選手、卓球の福原愛選手、体操の内村航平選手、レスリングの吉田沙保里選手など、前年の東日本大震災(2011)で被害を受けた人たちにも大きな勇気を送ってくれました。その背景にもエリザベス女王の姿がありました。



【イギリスと言えば】
イギリスと言えば、たくさんの有名なものがあります。

  • ロンドン橋
  • ビッグ・ベン
  • (2012年6月、女王在位60周年記念で名称を「クロック。タワー」から「エリザベス・タワー」に改称。ビッグ・ベンは愛称)
  • バッキンガム宮殿と衛兵交代
  • 大英博物館
  • タワーブリッジ
  • ヒーバー城
  • 湖水地方
  • コッツウォルズ
  • ストーンヘンジ
  • グリニッジ天文台
  • セブンシスターズ
  • ネッシー
  • 妖精
  • ハリーポッター
  • ピーターラビット
  • 機関車トーマス
  • くまのプーさん
  • ジェームスボンド「007」
  • ビートルズ
  • シェイクスピア
  • プレミアリーグ
  • ロンドンオリンピック(2012) など
  • クイーンエリザベス(女王の戴冠を記念して1954年に捧げられたバラ)


ロイヤルファミリーの話題も持ち切りです。日本の皇族の留学先としても有名です。

そして言わずと知れた「科学の国」!

オックスフォード大学にケンブリッジ大学、ニュートン、ダーウィンを生んだ国です。この国で、私は「科学の本質」と人としての「考え方」を学びました)


もちろん、ネガティブなものもあります。

  • チャールズ皇太子(当時)とプリンセスダイアナの離婚(1996)
  • ダイアナ事件(1997)
  • ロンドン同時爆破事件(2015)
  • ロンドンテロ事件(2017)
  • :同年、ロンドンのバスの中で煙玉のようなものをまかれる騒動に巻き込まれました。 
  • ブレグジット(2020)
  • ヘンリー王子夫妻の王室離脱(2020)
  • 北アイルランド問題
  • フォークランド紛争(1982)
  • スコットランド独立問題
  • 三枚舌外交(1915-1917)
  • 王室危機問題 など

(2012年6月、女王在位60周年記念で名称を「クロック。タワー」から「エリザベス・タワー」に改称。ビッグ・ベンは愛称)(50周年記念に女王も出演)(私が英国に惹かれた大きな理由)もちろん、ロイヤルファミリーの話題も持ち切りです。日本の皇族の留学先としても有名です。そして言わずと知れた「科学の国」!オックスフォード大学にケンブリッジ大学、ニュートン、ダーウィンを生んだ国です。この国で、私は「科学の本質」と人としての「考え方」を学びました)もちろん、ネガティブなものもあります。


どんな国もどんな地域も良く見える面、悪く見える面がありますが、私はイギリスが大好きです。イギリスの人々が大好きです。少しでも、そんなイギリスに興味を持ってもらえたら嬉しいです。


【God Save the Queen】

エリザベス女王の国葬は9月19日、ロンドンので行われる予定です。英国での国葬は1965年に行われたウィンストン・チャーチル元首相の葬儀以来となります。チャーチル元首相は、エリザベス女王が即位した際の首相で、その偉大さをイギリス国内のあちこちで垣間見ることができる英雄です。また、国王女王の戴冠(たいかん)式や結婚式は、ウェストミンスター寺院で行われるのが慣例です。エリザベス女王とフィリップ殿下の結婚式(1944)も女王の戴冠式(1953)もこの寺院で行われています。国葬には、今上天皇陛下の参列も検討されています。天皇が海外の葬儀に参加するのは大変異例とのことですが、エリザベス女王と皇室が3代70年のに渡って交流されてきた証と言えるでしょう。今回、イギリスに住む私の友人らも大きな悲しみに包まれています。その気持ちは推測の域を超えますが、少しでも気持ちをシャアできたらと思います。改めて、心より哀悼の意を表します。一緒に歌ったイギリスの国歌をイギリスの友人、私の人生に多大なる影響を与えてくれた第二の母国の偉大なる女王に、私の心の奥深くにある想いを込めて、日本の地から歌います。


イギリス国歌「God Save the Queen」

God save our gracious Queen

Long live our noble Queen

God save the Queen

Send her victorious

Happy and glorious

Long to reign over us

God save the Queen


エリザベス女王、ありがとうございました。全てに感謝いたします。安らかにお眠りください。

Dear Royal Highness, thank you very much for everything you have done. We'll be all there and meet you again. Please have some rest and enjoy your next life.  Kase


一方で、上皇上皇后両陛下のことも、そして、自らの両親、親族、知り合いのことも気になります。私も含めてみんないつか必ずその日が来ますから、、そんなことを思いつつ、今日も一瞬一瞬を大切に生きます。この機会に、改めて、自国のこと、地域のこと、家族のことを思い返してみたいと思います。そして、エリザベス女王に更に感謝いたします。うちらぼ 加世田国与士


追記:今回初めて知ったのですが、この曲は1745年頃以降広まっていったという大変歴史があるものでした。興味深いのは、アメリカが1776年に独立を果たし、誰もが知る国歌「星条旗」が法制化される1931年までの間、このイギリス国歌と同じメロディの国歌だったそうです。さらに、ドイツ帝国、プロイセン、ロシア帝国、リヒテンシュタインなども、イギリス国歌のメロディに独自の歌詞をつけて国歌としていた時期があるそうで、大変驚きました。今、改めて、この意味「神よ、女王を守りたまえ」の深さを感じています。