生き抜くための「科学のススメ」

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どうして「うちらぼ」を始めたの?

30年に渡り科学の世界を切り開いてきた研究者がどうして「うちらぼ」を始めたのでしょうか。そこには熱い人生ドラマがありました。


みんなの体験スペース「うちらぼ」

Uchi-Lab


【幼少の夢】

父は教師、母も実家で書道を教えていました。子ども好きの両親の我が家には、いつも近所の子どもたちで溢れかえっていました。私も当然であるかのように教師になるものと思っていました。理科か数学か体育の先生です。サッカー部の顧問になって、生徒たちと夢を語り汗を流し、喜びも悔しさも一緒に味わいながら、お互いの人生の1ページを刻みたいというのが夢でした。


教師になる以外の進路は全く考えずに大学に進学したのですが、信じられないことが起こってしまいました。私が入学する年にできるはずだった「教職課程」の設置が間に合わなかったのです。一瞬にして夢が壊れ、とても落ち込みました。新しい学部でしたので、予め大学の事務に入念に確認していた重要なことでしたので、正直学校を恨みたくなるほどの気持ちでした。


ただ、大学ではたくさんの良き友人に恵まれましたし、初めて習う生物学やプログラミング、ドイツ語など、物凄いスピードで進む授業に、毎日遅くまで予習復習を行い、必死に講義を聴き課題をこなすのが精いっぱいで夢中な毎日でもありました。再入学か編入で教職免許を取得する選択肢もありましたが、大好きな友だちと離れたくなかったですし、学年が上がるにつれて専門的な内容に興味を持つようになりました。そして、大学3年生のとき、人生の恩師となる児玉教授(後の学部長)と出会い、世界最先端の「科学の世界」に魅了されていきました。


世界でただ一人、自分しか知らないこと。自分にしかできないこと

こんなサイエンスの世界にどんどん引き込まれ、ついに研究者への道を目指すことになりました。

これを機に「夢や目標は変わってもいい、むしろ状況に応じて変わるべきだ」と思うようにもなりました。


教師になる夢のもと、サッカーとマラソンに明け暮れる青春時代をおくりました

科学と英語のうちらぼ

Uchi-Lab


【痛すぎる経験、辛すぎる別れ】

大学で青春時代を過ごしていた二十歳の時、3日間「昏睡状態」に陥るほどの大きな交通事故にあいました。生存確率は50%と言われたらしく、意識が戻った時には言葉では表現できない猛烈な痛さを経験しました。爆弾でも落ちたのかと思うほどの全身激しい痛みでした。


痛みに耐えるしかなく、座薬を待ち望む毎日でしたが、しだいに支えてくれる家族や友人の有難さを感じるようになっていきました。退院の日、病院で知り合った友達から大きな花束をもらいました。桜が満開に咲く事故にあった峠道を、母が運転する車の中で大声で泣きながら家に戻りました。母には一言だけ「今のその気持ちを覚えておきなさい」と言われました。


そして2年後。誰よりも何よりも輝いていた友人の突然の死。

朝一の大学院の講義を受けていたところに、別の友人Tがノックもせずにドタドタと入ってきて、私を部屋の外に連れ出しました。そして、一言「Gが死んだ」と低く重々しい声で言いました。状況を理解できずにいる私に、友人Tはトーンを上げて「やから、、Gが死んだ」と繰り返しました。


友人Gは私と同じ推薦入学で、同じ日に面接試験を受け、同じ学科に入学した関西弁の目がクリクリしたハンサムで、高校時代はバレー部のキャプテン、生徒会長を務めたいつも笑顔でさわやかな青年でした。入院中は、毎日のように病室に来て学校の話をしてくれました。病院中に伝わりそうな幸福感をまき散らし、その分お見舞いのお菓子や果物を食べて帰りました。彼の突然の死は彼を知る全ての人の心をえぐりとりました。大学の活動は全て凍り付いたようでした。


彼の夢は「研究者」になること。友人Gの死から2年後、私は決意を固め故郷を離れ岡山へ。心静かに研究ひと筋の場に身をおきました。彼が残した薄汚れたオレンジ色の鞄、ボロボロのベルト、フェルトの帽子は、その後、つくば市に、そしてイギリスにも持っていきました。今でも彼が描いた絵(おそらく自画像)を飾り、ときおり彼が残したCDを聴いてずっと一緒に生きています。


友人Gが残した最初で最後の1本の科学論文があります。私は彼と異なる研究分野に進みましたが、いつか彼と同じフィールドでも研究をしてみたいと思っていました。そして、彼の死から18年後。ついにそのチャンスが巡ってきました。私はそのチャンスに飛びつき、「この研究プロジェクトで絶対に成果を残す」決意しました。たくさんの仲間たちのお陰で、研究は順調に進み、英国で開かれた学会では学会賞をとり、権威ある国際科学論文も受理されました。その後、ノーベル賞受賞者である本庶祐教授から論文執筆の依頼をうけることにもつながりました。


天国の友人は見守ってくれて、喜んでくれたと思います。少なくても、壁に飾った彼の自画像は優しく微笑みかけてくれました。いつか彼の評価を直接聞いてみたいと思います。

「そなしょーもないこと聞くなやー。皆ちゃうんやから。えーんちゃうか」と言われそうです。


自分自身の交通事故の体験、そして友人の死。

「人は一瞬で死んでしまう」ことを体験し、強く死を意識して生きるようになりました。ただ、その分一日一日を、一瞬一瞬を全力で生きてきました


私の事故車をみる友人G
私の事故車をみる友人G

世界をリードするたくさんの有名な先生方のご指導を受けることができました

みんなの体験スペース「うちらぼ」

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【研究から教育へ】

19997年、故郷の福岡を離れ岡山(岡山大学・歯学部)に、2年後に茨城県つくば市(産業技術総合研究所)へ、2004年にはイギリス(マリーキュリー研究)へ旅立ち、世界第一線の場で研究活動を行いました。6年間のイギリス勤務を経て、2010年に大分県別府市に来て、民間会社でゼロから研究所を立ち上げ、たくさんの仲間たちのお陰で再び世界の舞台に戻ることができました(詳しくは、「もっと知りたい方へ」をご覧ください)


ただ、大学時代以降、研究に打ち込んだ30年の生活の中で、子ども達と一緒に学ぶ夢を捨てたことはありませんでした。実は「研究者として生きる」と決意した時に、もう一つの決意をしました。それは、引退後に子ども達がいつでも自由に集まって、勉強だけでなくキャンプや釣りなどの遊びや野菜作りを一緒にする場所をつくることです。「生きる力」を育む場所をつくることです。


勉強も野外ですれば良いくらいの感じで、当時から「青空教室」と呼んでいました。テストの為の勉強をする場所ではなく、「生きる」為の学びを深める場所です。昔でいうところの「寺子屋」のようなイメージをもってきました。「生きるため」、「この国をよくするため」に、仲間を認め合い支えあいながら学ぶ場です。青空教室の設立を夢見ながら、育児・教育にも力を入れ、親戚や友人の子ども、近所のお子さん、公園で出会う子どもとの触れ合いも大切にしてきました。


時は流れ令和に突入。社会も学校教育も大きな変革時期に入りました。私の誕生日の日に、近所の方に頼んでボランティアでお子さんの面倒をみさせてもらうことになりました。思春期の大切なお子さんですが、「加世田さんのような尊敬できる大人と触れ合わせていただくだけでありがたいです」と、快く預けていただきました。この出会いが更に新しい発見と感動の連続となりました。家族や恩師らに支えられ、新たな出会いがあり私の生きるべく道をかざしてくれることとなります。


そして、令和2年。突如訪れたコロナ禍で苦しむ子どもたち、大人も高齢者も含めて社会が不安で滞っていく様子を目の当たりにして、私の煮えたぎる想いはついに飛び出しました。定年退職を待ってからではなく、今しかない。まずは、目の前にいる人達のチカラになりたい、そして、私を社会人として育ててくれた別府に恩返ししたいという気持ちもあり、実家の福岡に戻るのではなく、この地で事業をはじめようと決意しました。これが私に与えられた「使命」であると信じ、最高の仲間たち、恵まれた環境での研究所生活に終止符を打ち、人生最大のチャレンジに挑むことにしました。


科学と英語のうちらぼ

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【うちらぼ ~自分なりの寺子屋~

6年間のイギリス生活で感じたことの一つに「分野を超えた学び」があります。イギリスでは文系や理系という概念がありませんでした。みなそれぞれの立場で科学にも政治にも、文学にも芸術にも興味を持ち、自分の意見を持っているように思いました。それは人として当然のことのようでありながら、ある意味真面目な日本人にとってはそれほど容易なことではありません。


そんなイギリス生活の中で、「教育現場と社会の在り方」にヒントがあるのではと思いました。まず、教育現場では、「長所を引き出す」教育が特徴的でした。社会では、「子どもと大人が平等に混じりあう」ことが魅力的でした。イギリスには、「教える・習う」というようりも、共に学びあう環境があり、各々が長所を発揮しやすい環境がありました。(詳しくは、「特別な体験」をご覧ください) 


現代のような「先が見えない時代」に必要なのは「生きる力」を育むことだと信じます。それは、子どもだけでなく、大人にも社会全体にも必要な力です。個々のより強い生きる力は、より良い生活、より良い社会、より良い世界につながります。「生きる力」とは自ら学び行動し続ける力です。30年間続けた研究生活、そして人生自体を振り返っても、腑に落ちます。


私は、運よく大学で9年間、国際的研究機関で11年間、海外でも6年、そして、民間企業でも10年以上にわたり、研究を続ける環境に恵まれました。科学の世界で「新しい世界」を切り開きながら、愛情を大切にして、育児、教育、後継者の育成を行ってきました。そして今、家族やたくさんの仲間にも支えられ、かつての「寺子屋」のように人を認め、人を愛し、自らの背中を見せ、共に学びあう場所をつくり始めました。


私自身が長年に渡って携わってきた科学と英語をベースにした「きっかけ」を提供します。医学、美容、健康、食についても科学的見地から掘り下げて考えていきます。「うちらぼ」は私なりの寺子屋、現代版の寺子屋の一つの形だと思ってます。とりわけ、学校では見ることのできない科学機器に触れ、生きた英語を使いながら、繰り返し考えて実行することで「深い学び」と「成功体験」を育みます。今後、たくさんの専門家の方々の力を借りて学びの分野を広げていくつもりです。得意分野をお持ちの方には、ヒントを提供する役割を担って欲しいと思ってます。


一回限りの体験会でなく、繰り返し体験することで視野も思考も広がります。時には、自分のペースでじっくりと考えたり、納得いくまで何度もトライすることで自分の世界が深まっていきます。家族のような理解と愛情のもとで、そういった経験をできたら、どれだけ幸せでしょうか。私自身、研究に限らず、仕事も遊びも、時に徹夜をする程トコトンやるタイプですので、考えただけでワクワクします。自分の子どもにも、やりたいことがあればトコトンさせてあげる環境を作りたいと思ってきました。おそらくプロスポーツ選手がご自身や子どもの為に自宅に運動設備を設ける感覚と同じだと思います。


もちろん、活動には膨大な費用がかかりますので、少しでも節約したい思いもありますが、アットホームな雰囲気でトコトンやれる環境づくりという意味においては、「うちらぼ」の発想に至ったことに幸福感を感じております。ちなみに、「うちらぼ」のネーミングは、私達を支援してくれている方との会話の中で生れました。うちらぼの設備におきましても、たくさんの方々のご支援のお陰で、だいぶ整ってきております。これからもっと充実した施設にしていきたいと意気込んでいます。


自由な発想とたくさんの方に支えられている「うちらぼ」だからこそ、「自由な学び」を尊重します。自由な学びとは、自分自身で想像したり形づくっていくことです。つくるのはモノだけではなく、理論や思想、発想も含まれます。自信や興味の広がり、コミュニケーション力や共感力、仲間をつくることも大切な学びだと思っています。


科学は最高の「知的リアルゲーム」と言えます。誰も答えを知らない世界で、自分の発想を確かめたり、実験でドキドキしたりしながら、自己を向上することができます。自分の世界を作り出しながら、好奇心や努力する継続的な力がつきます。英語は人生観を広げる為の大きなツールです。生きた英語を使いながら、大小様々な「成功体験」を繰り返し蓄積します。その結果、「自己肯定力」が強まり生涯を生き抜くための「生きる力」が育まれていきます


「うちらぼ」が自分自身を認め、自分を愛し、家族を愛し、友を愛し、地域を、この国を、そして世界を愛し、ワクワク生活できる社会の実現につながる一歩になれば、この上ない喜びです。


私たち「うちらぼ」スタッフと一緒に

共に学びましょう

共に体験しましょう

共に人生を切り開きましょう



令和2年12月吉日  うちらぼ代表 加世田



最高の仲間たちと巡り合い支えられお陰で今があります


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