Interview
映像クリエイターの浜田笑奈さんの取材を受けました。
カフェ「おしゃべりなスプーン」の心地よい雰囲気と
浜田さんのニコニコ笑顔で気持ちよくお話できました。
浜田さん、どうも有難うございました。
うちらぼ 加世田
YouTube動画はココから
インタビュー
◆お名前とご出身を教えてください
加世田国与士(かせだ くによし)と申します。
国与士は、"お国に与えられた武士"という意味です。
尊敬する父が考えてくれた名前で気に入っています。出身は福岡県です。先祖は薩摩(鹿児島)です。
◆前職が研究職でしたが、どちらの大学だったのですか?
九州工業大学の情報工学部です。学科は生物化学システム工学科(現在、生命化学情報工学部)です。
◆なぜその大学に行ったのですか?
当時最先端のバイオテクノロジーとコンピュータサイエンス、今でいうITテクノロジーに力をいれた学科で将来性を感じたことと、できたばかりの新しい学部でしたので施設や環境が充実していて、とても魅力的でした。実際に、大学を訪問して「絶対に行きたい」と思いました。
<大学を選んだ理由>
1 将来性(バイオ&IT)
2 新しく充実した環境
3 フィーリング
◆当時はどんな夢を持っていたのですか?
入学した当初は、酵素や触媒に興味があり、次第に生命科学や自然科学に興味を持つようになりました。大学でしっかり学んた後は中学か高校の先生になって勉強や部活など生徒と全力で一緒に汗をかき涙を流し、共に喜びあうような「熱血教師」になりたいと思って言いました。
<夢>
熱血教師になること
◆どうして研究者になったのですか?
教師になれなかったからです(笑)。大学の手続きが間に合わず、教職課程ができなかったんです。「そんなことがあるのか」とどん底に落とされたような思いでしたが、素晴らしい友達に恵まれて有意義な大学生活を送ることができました。両親の夢や期待に応えたいという気持ちもありましたし、恩師の導きで大学院に進学し、研究に深く携わるようになりました。そこで、生命の不思議に魅了され、世界唯一、世界初への「発見」、「挑戦」にも魅力を感じるようになりました。その後、研究者になりたかった友人が突然のこの世から去り、彼から励まされた重みが増しいき、「彼の分まで生きたい」という気持ちも強くなっていきました。今振り返ると、母からよく祖父が医師で結核の研究をしていたと聞いたこと、父が「研究者になりたかった」と言っていたこともあり、少しずつ気持ちが成熟したと思います。遅いですが、25歳で研究者になる決意を固めました。
<研究者になった理由>
1.教師になれなかった
2.生命と世界初に魅力された
3.友人の分まで生き切りたい
4.両親の想い
◆どんな学生だったのですか?
自分ではよく分かりませんが、よく「熱い」と言われていました。よく言えば、情熱的、ただ、ときに鬱陶しいこともあったのではないでしょうか? ただ、勉強も遊びもアルバイトも自分が満足するまで、自分なりに精一杯やっていたと思います。
◆卒業して何をされたのですか?
大学院に進学し、在籍中に岡山大学で2年間の研究生活を送りはじめた頃から世界観が大きく変わりました。その後、関東に出て茨城県つくば市の産業技術総合研究所で5年3ヶ月研究に打ち込みました。そして、イギリスに渡り、マリーキュリー研究所で約6年間の研究生活を送りました。
◆イギリスですか? なぜイギリスに行こう思ったのですか?
日本が大好きでしたし友達にも恵まれていたので、海外に行くことは全く考えてませんでした。当時は英語も全くできませんでしたし。産総研での5年間の研究で、運よく世界の強豪たちに競り勝ち、長年の論争に終止符を打ちました(分子モーターキネシンの二足歩行を世界で初めて直接証明)。結果は「Nature Cell Biology」という世界最高峰の科学雑誌に掲載されました。それで、マリーキュリー研究所のロバート・クロス博士というその分野の第一人者であり、心から尊敬できる偉大な研究者からヘッドハンティングされたのがきっかけです。有名な研究所で、思う存分研究に打ち込める環境があること、また、国際色が豊で人生観を高めることができると思いました。
<イギリスに渡った理由>
1.第一人者からのヘッドハンティング
2.研究に打ち込める環境
3.人生観を高める
◆研究と人生はどのように関係しているのですか?
私にとって、研究は楽しいだけでなく、人生を切り開いていくためのツールでもありますし、生き方を学ぶことができます。研究をするには、いち早く正しい情報を取り入れて、課題を見つけ、それを解決する手法を練って、熟練した技術を習得した上で実行し、結果をよく考察することを繰り返す必要があります。それは、どんな仕事においても、人生における課題を解決していくためにも役に立つと思うからです。
◆イギリスではどんなことをしていたのですか?
がん細胞の増殖メカニズムを調べたり、抗がん剤が働く仕組みを研究しました。公私ともに世界の各地出身の人達と交流できて、今でもたくさんの友人と繋がっていることは大きな財産です。
◆研究以外、人生においてはどんなことを学んだのでしょうか?
本当にたくさんのことを経験できました。例えば、現地の人達がよく使う言葉で表現すると、フェア(fair)、メイクセンス(make sense)、ネバーマインド(never mind)で、各々、「公平」、「理にかなう」、「気にしない」という意味です。日常生活でも研究の場でも彼らの会話はとても平等であり、理に適うものがありました。大きな失敗や大変なことが起こってしまっても、Never mind精神であっさり受け流して、今やるべきことをしていたように思います。当時の私にとっては、彼らの姿はとても純粋であり、素直に見習いたいと思いました。帰国してから、イギリス全体がシェア(share)して受け入れる社会だと振り返るようになりました。
<イギリスで学んだこと>
Fair(公平)
Make sense(理にかなう)
Never mind(気にしない)
Share(共有)
◆今別府におられますが、何がきっかけで帰ってきたのですか?
実をいうと、6年間のマリーキュリー研究所での研究後は、同じくイギリスにあるウォーリック大学の医学部でのポストが決まっていた。実際に、引っ越す場所も決まっていたのですが、別府の会社とご縁がありました。個人的には永住したいほど大好きだったイギリスですが、ご縁に導かれて別府に来ることになりました。
◆なぜその会社で働こうとおもったのですか?
正直、民間企業に就職するとは夢にも思っていませんでした。ただ、20年近くやってきてた基礎研究は面白いし重要である一方で、培った知識や技術を活かして「社会の役に立つ応用研究」もやってみたいという気持ちがありました。
もう一つ、イギリス滞在中に祖母が亡くなりました。葬儀に出ることもできず、とても寂しく辛い思いがありました。せめて両親には、少しでも親孝行をしたいと思っており、福岡に近い別府は魅力的に感じました。
最後に、38歳にして初めての民間企業への就職ということで、全く新しいチャレンジにどんどん心を惹かれ、ワクワクしていたことを思いだします。
<別府に来た理由>
1.社会貢献をしたい
2.親孝行をしたい
3.新しいチャレンジ
◆そんな会社をなぜ辞めようと思ったのですか?
会社でゼロからラボを立ち上げて、それまでに学んだ酵素や微生物の知識や技術が商品開発や、コストダウン、企業ブランドを創り出すことに役立ったと思います。そして、本当に優秀で心がとても温かいたくさんの仲間たちに恵まれ支えられて、本当に充実した11年となりました。
そんな大好きな仲間と離れ、恵まれた環境を捨ててまで、この結論に至ったことには自分でも驚いたくらいです。今でも不思議に思うこともあります。
ただ、このコロナ禍で社会の動きが5年~10年ほど早まったと言われていますが、私にもそれが当てはまったのだと思います。
先ほど、もともと教師になりたかったと言いましたが、研究者になることを決意した際に、引退後には小さくても良いので、学校というか、、どう呼べば良いのか分からないのですが、「生きる為の力を養う」"学びの場"を作ることを決意していました。当時は「青空教室」と呼んでいました。それはまだ10年以上先のことだと思ってました。しかし、昨年3月にコロナで最長3ヶ月にも及ぶ全国一斉の臨時休校が始まり、学校に行けず苦しんでいる子ども達やご家族の方と接して「今、本気で何かをやらなくてはいけない」と感じました。臨時休校の期間だけのことでなく、まだまだ続くこの困難な時代を生き抜くための場所づくりではないかと強く思いました。
<独立した理由>
コロナ禍で予定が早まり「今やるべきだ」と感じたから
◆なぜ別府で起業しようと思ったのですか?
実家の福岡に戻る選択はありましたが、大きく3つの理由で別府に留まることを決めました。
第一に、これまでの人生で最も辛いときに助けてくれた大切な妻の故郷であり、その妻との間に生まれた娘が生まれ育っている家族の大切な場所です。
次に、私を頼ってくれる人がいたこと、共感、また応援してくれる仲間、頼らせて欲しい、一緒に活動したいと思える素敵な人がいる場所でもあります。
最後に、私を社会人として育ててくれた場所なので、恩返しをしたいと思ったからです。「教育県大分」、「大分県からノーベル賞科学者を」、「子育て満足度日本一」と育児教育に力を入れている大分でお役に立てるように尽力します。
<別府で起業した理由>
1.家族の大切な場所
2.仲間の存在
3.地域への恩返し
◆別府はどんなところですか?
自然が豊かで、温かく受け入れいてくれる人が多い、「とても心地が良く暮らせる街」です。
国際色に富んでいて「可能性に満ち溢れた魅力的な街」でもあります。
そして、何と言っても温泉。食べ物も美味しいので、友人、知人を招きたい街です。
◆その別府で、会社を立ち上げようと思ったんですね
はい。先ほどの家族、仲間、恩返しの点から、自然にココからスタートしたいと思いました。心地よさとポテンシャル、環境から、新たな挑戦をスタートするのにもっとも良い場所だと思いました。
◆「うちらぼ」は何をする会社ですか?
一言で言えば、「生きる力」を育む場所です。みなさんと一緒に学んで、一緒に考えて、一緒に創りだす場所です。分かりにくいですよね(笑)。
私は「困難にめげずに強く生きていくこと」、「切り拓いていくこと」、「生き切ること」をテーマにして生きています。個性や長所を最大限に引き出して強いチームや強い組織ができれれば、地域社会も国も世界も豊かで平和になると信じています。
私が提供できるものしてサイエンスがあります。ですので、ラボ(研究室)を作って、学んでは創り出す、インプットとアウトプット繰り返して、新しいモノやアイデア、概念を作りだしていきたいと思っています。それに英語を交えて、国際社会で強く生きるための場所づくりをしています。
うちらぼは、「生きる力」を育む場所です
◆今後のビジョン教えてください
個々の興味やニーズに応じて、地域の活性化や未来につながるようなテーマを取り上げて、皆さんと一緒に深い学びを通して「新しいモノ」を創っていきたいと考えています。
ただ、これがゴールではなく、そんなスリリングな体験を通して、「成功体験」を積み重ね、「自己肯定感」を養うことで「生きる力」の種をたくさん作っていきたいと思います。
私の想いとして、ラボだからといって、理系、つまり、医者や研究者、開発者になりたいお子さん、直接関わっている方だけでなく、経営、営業、メディアなどに関わる方でも、サイエンスに触れてみたい方との交流を楽しみにしています。知識や価値感が異なる色んな人が交って受け入れてシェアすることで、これまでにない新しいモノが生み出されるのではないかと期待しています。分野を超えた場所づくりを展開します。
科学には論理的思考力、発想力、実行力等「生きる力」を養う力があります。
科学にはアイデアをカタチに変える力があります。
科学には社会に貢献する力があります。
科学には世界唯一の感動があります。
みなさんの「本当にやりたいこと」が見つかり、「自分らしさ」が発揮できること、充実した人生を願い、環境ときっかけを提供します。
その為に、「理系と文系の心のバリアがない世界」を目指します。
◆それは大きなチャレンジですね
あくまでも主役はみなさんです。私の役割は精一杯寄り添って、 「環境」と「きっかけ」をつくることです。基礎研究で20年、応用研究で10年、合計30年の研究生活を通して学んだこと、育児や後輩の指導、会社の仲間と共同で成し遂げた「ゼロから作りあげる」経験を、今後の私の現役人生、おそらく30‐40年だと思いますが、全てをつぎ込みます。
◆お休みってあるんですか?
研究を始めた時から、仕事の時間とそれ以外の時間の区切りが難しいですね。研究も今やっている活動も、自分がやりたいことなので、定期的に「休む」という風には考えられない感じでしょうか。
もちろん、家族との時間は大切です。そういう意味では、ありがたいことに、状況をよく把握してる妻が程よくオフの時間を作ってくれています。その時が、休みと言えるかもしれません。
◆そんな日はどんなことをしていますか?
家族や親戚とのんびり過ごしたり、友達と会ってワイワイ騒いだりします。家族ぐるみで子どものお祝いや季節のイベントをすることもあります。ちょうど、今夜は親戚で集まって、娘の「ひな祭り」をお祝いします。
あと、買い物に出かけたりですかね。私も妻もお祝いやプレゼント選びのショッピングには時間をかける方かもしれません。私関係の場合でも、妻の関係の場合でも、二人で出かけて相談しながらプレゼント選びをします。お互いに意見を出し合うので、良くも悪くも時間がかかります。
◆それ以外は働きっぱなしですか?
いえいえ、そんなことはありません。もちろん、仕事に関係する時間が長いのは事実ですが、仕事の間でも、小まめに筋トレをしたり、やりたいと思えば、ガーデニング、読書、手紙を書いたり、語学を学んだりします。だから、決まった休日がなくても良いのかもしれませんね、、(笑)
「休日」かどうかよりも、いつも「充実」できるように行動しているような気がします。
◆今のあなたの夢は何ですか?
うまく説明できないというか、自分でもはっきりと分からないのですが、「うちらぼ」で色んな人と学びを重ねて、生まれるであろうものにワクワクしています。その可能性は、ご縁によって変わると思います。
たくさんの方に、別府初、日本初、世界初かもしれない「自分だけのスリリングな世界」を体験してもらうことが出来たら幸せです。それが、新発見や新しいモノの誕生につながるかもしれません。誰かの笑顔かもしれませんし、誰かの成功かもしれません。その積み重ねが、新たな可能性を生み続けるでしょう。
だから、世界唯一の取り組みを続けていきます。
25歳で研究者となる決意し地元を出る。将来、学びの場(青空教室)を創る決意
32歳で科学の本場イギリスに渡る決意
38歳で帰国して社会貢献のための応用研究を始める決意
49歳で独立して社会に繋がる学びの場「うちらぼ」設立を決意
全てひとより遅い決断ですが、”遅れてもやる”、”自分に挑戦する”ことを貫いて生きていきます。
大分別府の観光・ビジネス支援 B-biz LINK の
「イノベータ湯」で紹介されました。
なんと、インタビュワーは大学一年生!
下記をクリック
Interview インタビュー Interview
~わくわく担当 千絵先生編~
病院や介護施設、小学校幼稚園などの食品業務に従事、その後約10年温泉スキンケアの研究開発管理。酸化、炎症などが細胞のエネルギー産生に与える影響を研究。ミトコンドリアの新しい機能を発明し、国際学会で学会賞を受賞、国際論文発表など。地域資源を活かした新規原料開発、商品開発(ヒット商品を開発)、商品管理など応用研究にも貢献。
◆子どもの時はどんな感じでしたか?
いわゆる文系でした。理科、科学は苦手で避けてきました。社会に出てから科学の大切さ、日常には欠かせないこと、そして面白さが分かりました。理系や科学は自分なりの興味や観点でできることがたくさんあると分かりました。
◆起業に関してどう思いましたか?
以前から「引退したら子ども教室をやりたい」と言っていました。「生きる力をつける青空教室!」と呼んでいましたし、「子どもサイエンス講座」やボランティアで勉強を教えていたました。何より二人とも、子どもが大好きなので、それほど違和感はありませんでした。
もちろん、最初はどうしたら良いのか戸惑いましたが、子ども達がワクワク実験していて輝いている姿、どんどん自信をつけていく姿、目標の大学や高校に合格して羽ばたいていく姿を見て、私も一緒に頑張っていこうと思うようになりました。たくさんの方から応援していただいているのも大きな力になってます。
◆うちらぼでの役割を教えてください
加世田は「学び担当」で、私は「わくわく担当」です。楽しくて学びにつながりそうな実験や教材を探し、科学講座がより楽しいものになるように企画を考えてテスト実験を行います。例えば、栄養素であるアントシアニンの色が変わる実験、色のにじみに関する実験、うがい薬を使って美容と健康に良い素材を見つける実験など、私自身がワクワク楽しい実験です。日頃から、社会の役に立つ研究や将来、役に立ちそうなものを選ぶように心がけています。
それを加世田が「学校での勉強」や「社会につながる学び」に変えていきます。最終的に、二人で納得できるまで議論を繰り返します。オリジナルの実験講座の開発には半年ほど時間をかけて、十分に練り上げています。その分、いつもイベントではたくさんの方にお越しいただき、毎回特別席を作るなどしています。「この講座変、何か普通と違う。でも楽しい」、「まー、あれだな。一言でいうと、これまでで一番楽しかったな」などとイキイキ話してくれる子どもの姿は癒しと勇気です
◆代表は仕事以外ではどんな様子ですか?
どんなことにも、一生懸命で熱いです。いつも子ども達のことを考えています。普段から、どんな年齢の子どもでも、すーっと溶け込んで、友達のように接しています。
プライベートの育児、赤ちゃんとの遊び、外遊び、畑づくり、DYIなども一生懸命全力でやってます。
時々、ギターの音が聞こえてきますが、熱くストレス解消をしているようです。
◆趣味はなんですか?
美味しいものを食べることです!
特に季節を感じるものが好きです。
◆夢を教えてください
たくさんの子どもたちの夢や将来も応援して力になれる人になりたいです。子ども達と楽しく充実した日々を送り続けたいです。結局は、いつかは死んでしまいますので、その時に後悔しないように日々過ごしたいと思っています。
一生懸命やったことは必ずどこかで活かされるので、一つひとつ丁寧に精一杯頑張ります。
◆別府はどんなところ
温泉はもちろん食事も美味しく人も優しくとても暮らしやすい大好きな街です
◆別府がどうなると良いですか?
別府の子供たちが理科や科学の苦手意識をなくし、新しいことに挑戦する意欲を持って社会に出ていくことで、大好きな別府にもっともっと活気がでると嬉しいです。
Inspired by Uchi Lab
「科学のススメ」うちらぼ